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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)7222号 判決

原告

本間敬子

右訴訟代理人弁護士

原田一英

内田実

右訴訟復代理人弁護士

椙山敬士

被告

栗林憲生

右訴訟代理人弁護士

畔柳達雄

阿部正幸

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金五四五万四三六〇円及びこれに対する昭和五六年七月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  当事者

原告は昭和二一年生れで、夫と二人の子供を持つ家庭の主婦であり、被告は肩書住所地で胃腸科外科医院(以下「被告医院」という。)を開業している医師である。

2  診療契約の締結

原告は、従来から胆石による痛みがあつたことから、被告の診断を受けたところ、被告から手術を勧められたため、昭和五五年七月初めころ、被告との間で、胆石の摘出手術のほか術前術後の検査、管理(療養指示を含む)を適切、誠実に行うことを内容とする診療契約(以下「本件診療契約」という。)を締結した。

3  医療事故の発生

(一) 原告は、同年七月二〇日、被告医院に入院し、同月二三日、被告によつて胆石を含んだ胆のう摘出手術(以下「本件手術」という。)を受け、同年八月一二日、被告医院を退院した。

(二) しかし、退院した日の夜、体温が三七度八分まで上昇し、左側腹部に激痛を覚え、食事がほとんどできない状態に陥つたため、翌一三日から一七日まで被告医院へ毎日通院し、診察・投薬を受けたが、熱が下がらず、腹痛も軽減しないまま経過した。

(三) 原告は、被告の診療を受けるのを止めて、同月一八日、桜井昇医師の診察を受け、同年九月五日まで桜井医院へ通院したが、薬で熱を無理に下げている状態が続き体力の消耗も激しいので、同医師の紹介により、同月六日、武蔵野日赤病院(以下「日赤病院」という。)に入院した。そして、同月六日以降、日赤病院で検査を受けたが、血液検査によりブドウ状球菌が検出され、同月一〇日、日赤病院の医師により、原告が罹病したのはブドウ状球菌の血液混入による敗血症を伴う急性胆管炎(以下「本件胆管炎」という。)と診断された。日赤病院には、同年一二月一八日まで入院し、退院後も、一週間に一度、同病院へ通院し、昭和五六年二月六日、一応加療の必要なしと診断されるに至つた。

4  被告の責任

(一) 医療行為上の過失

(1) 本件手術による胆管狭窄を生じさせた過失

本件胆管炎は、被告が本件手術によつて切断、縫合した部分である胆のう胆管と総胆管の連結部分の胆管に狭窄が生じ、その結果、その直上部に胆汁がうつ滞し、そこに菌が増殖することによつて胆管に炎症を起こして発生したものであるところ、被告は本件手術にあたり、胆汁うつ滞の原因となる胆管狭窄を生じさせない注意義務があるのにこれを怠り、胆のう摘出の際、切断部(胆のう胆管と総胆管の連結部分)の胆管に狭窄を生じさせた。

(2) 便秘に対する術前・術後の管理義務違反

便秘は腹腔内圧を高めるため、胆汁うつ滞を補助促進する要因であるから、被告は、本件手術にあたつて、術前管理として便秘を治療し、術後管理として一日一行の励行等の療養指示をするなどの方法によつて、原告に便秘を生じさせないようにする義務があるのに、これを怠り、本件胆管炎の発生を促進させた。

(3) 術中胆管造影及び退院前の術後胆管造影義務違反

胆のう摘出手術後には様々な後遺症が生じ、その原因のうち、遺残結石に次いで多いのが胆管狭窄であるから、被告は胆のう摘出後に胆管狭窄が生じていないかどうかに配慮し、胆のう摘出後の術中、比較的簡単にでき、患者に危険をほとんど与えない検査である胆管造影を行うべきであつたのに、これを怠つた。

更に、原告が被告医院を退院する前に胆管造影を行い、胆管狭窄の有無を確認すべきであつたのにこれを怠つた。

(4) 原告の退院後通院時(昭和五五年八月一三日から同月一七日)における検査及び治療義務違反

本件手術後、原告には、次の各症状が発生し、被告は、これらをいずれも了知していた。

ア 同年同月四日、肝機能障害が生じた。

イ 同月六日と一二日とを比較すると、体内の炎症を示す白血球数が六九〇〇から異常値の九〇〇〇まで増加し、更に、胆道系の酵素であるAL―P(アルカリフォスファターゼ)値が八・一uから一二・〇uまで上昇した。

ウ 同月一二日の被告医院退院の夜、体温が三七度八分まで上昇し、左側腹部痛があつた。

エ 同月一四日には、腹部痛の部位が中央に広がり、腸内ガスが多くなつた。

オ 同月一五日には、三日間便秘が継続していた。

右各症状は、胆管炎の徴候又は原因と考えられるものであるから、同月一三日から一七日までの原告の通院の間において、本件手続を行つた医師である被告は、原告の胆管炎の発生を念頭において、右各症状の原因究明、治療開始のため、いずれも容易にできる胆管造影、白血球の測定、肝機能検査及び熱型の観察を行う注意義務があるのにこれらを怠つたことにより原告の胆管炎を悪化させた。

(二) 説明義務違反

医療行為が患者の身体に対する侵襲を伴なつたり、生命・身体に危険を及ぼす虞れのある場合には、医師は事前に患者に対し、当該医療行為の方法、効果、結果として生ずる可能性のある危険性につき説明し、特に手術にあたつては患者の自由かつ真摯な承諾を得る義務がある。

しかるに、被告は、被告の妻と共に、原告に対し、昭和五五年四月から七月にかけて、原告が一年数か月も胆石による痛みがなく、胆石も一個で胆のう及び胆汁の働きも異常がなく、胆のう摘出手術が必要でなかつたにもかかわらず、「胆石を放つておくと癒着して癌になることが多い」などと虚偽の説明をして、手術を受けない場合のデメリットを強調する一方で、胆のう摘出手術は、胆のう摘出手術後、遺残結石、胆管狭窄、胆管炎等を発生させ、そのために、予後不良、再手術あるいは死亡する例があるのに、この危険性について何ら説明せず、逆に盲腸の手術に毛のはえた程度の手術であると告げる等、手術を受ける場合のデメリットを過少に話したり、隠したりして原告に本件手術を受けさせたものであつて、被告は医師としての説明義務を怠つた過失がある。

また、被告は、本件手術により胆石のみならず原告の胆のうまで摘出しているが、これについても原告の承諾を得ず、更に、強引に手術を勧めて、原告の病院選択の自由を害したものである。〈以下、省略〉

理由

一請求の原因1(当事者)及び2(診療契約締結)の各事実は、当事者間に争いがない。

二同3(医療事故の発生)の事実について

1  同3(一)(本件手術の実施)の事実及び同(二)(本件手術後の経過)のうち、原告が、被告医院を退院後昭和五五年八月一三日から五日間被告のもとへ毎日通院し、診察、投薬を受けた事実は、いずれも当事者間に争いがない。

2  本件手術後の状況

〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  原告は、被告医院を退院した夜、三七度八分の発熱があり、体を伸ばしたところ、左側腹部の強い痛みを覚え、翌一三日、被告医院で診察を受けたが、左側腹部痛はあつたものの、熱は平熱に戻つていた。

(二)  原告は、翌一四日から一七日まで被告医院に通院し、被告の診療を受けたが、腹部痛や発熱の症状は一進一退の状態で軽快しなかつたため、被告に不信感をいだき、被告の診療を受けることを中止し、同月一八日、前記桜井医師を訪れ、同医師に対し、本件手術を受けたこと、同月一三日に左側腹部痛があつたこと、その後、便秘の薬を飲んだら腹痛があること等を訴えた。そして、同日から同年九月五日まで同医師の診察、治療を受けたが、原告の症状が好転せず、発熱、間接痛があり、倦怠感が強く、身体も衰弱してきたため、同医師は、原告を総合病院へ入院させて精密検査を受けさせることにし、日赤病院を紹介し、原告は、翌六日、日赤病院へ入院した。

(三)  原告は、昭和五五年九月六日、日赤病院へ入院した際は、三九度の発熱があり、顔色も不良でかなり消耗した状態であり、その後、同病院でペニシリンGの点滴静注の治療を受ける一方で、血液生化学検査、血清学的検査等の諸検査を受けた。同病院における原告の主治医である鰺坂隆一医師(以下「鰺坂医師」という。)は、原告の症状及び右諸検査の結果から、原告は急性胆管炎に罹患しているのではないかと疑い、原告に対し、同月一一日から、モナペン、セファメジン及びパニマイシンの三種類の抗生物質の大量の投与を点滴等により開始した。そして、同月一二日、原告の血液細菌培養の結果、グラム球菌が検出され、原告が急性胆管炎(これに伴う菌血症)に罹患していることが明らかになつた。

(四)  その後、日赤病院において、原告に対する各種の検査、治療が施された結果、原告の病状は好転の傾向を示し、同年一二月一八日、日赤病院を退院した。そして、その後通院治療を受け、昭和五六年一月二三日、一応治癒となつた。

三被告の責任

そこで、以下、被告の原告に対する行為が、本件診療契約の不履行又は不法行為に該当するかどうかについて判断する。

1  同4(一)(医療行為上の過失)の主張について

(一)  原告は、被告が本件手術によつて胆管狭窄を生じさせて本件胆管炎を発生させたと主張するので判断する。

(1) 前掲乙第五号証(日赤病院の鰺坂隆一医師作成の原告の診療録)の昭和五五年一〇月一日の欄には、同年九月二九日の原告の胆管造影写真(乙第六号証の九ないし一二)の一部を模写し、「→の部位がやや狭細化している。OPeの影響かもしれないが、やはり、ERCPでチェックした方がよいだろう(三宅Drコメント)」との記載があり、また、乙第五号証の同年一一月七日の欄には同月五日の原告の胆管造影写真(乙第一〇号証の三ないし七)の一部を模写し、「前回と同部位にSTENOSIS」(狭窄ありの意味)との記載があり、証人鰺坂隆一は、右同年九月二九日の原告の胆管造影の結果を検討した際、胆管が少し狭窄していることに気づき、日赤病院の消化器専門の三宅医師の意見を求めたところ、本件手術部位と思われる部分が正常範囲ではあるがやや狭窄しており、それは本件手術の影響かもしれないとのコメントを受け、また、右同年一一月五日の原告の胆管造影の結果も、前の同年九月二九日の胆管造影の結果と同じく、病的な狭窄ではないもののやや狭窄化していた旨証言する。

そして、同証人は、胆管炎は胆汁のうつ滞がないとほとんど発生せず、本件手術部位以外に胆汁のうつ滞をおこす可能性のある部位は考えられず、本件手術の結果、病的な再手術を要するような狭窄ではないものの、原告の胆管にやや狭窄が生じ、更に右部位に浮腫が加わることも考えられ、そのため、右狭窄部分に胆汁がうつ滞し、細菌が発生して本件胆管炎へ進展した可能性があり、本件手術によつて本件胆管炎が発症しなかつたとは言えない旨証言する。

(2) 一方、証人立川勲は、本件手術後の昭和五五年九月二九日当時の原告の胆管造影写真(乙第六号証の九ないし一二)と本件手術前の同年七月一五日当時の原告の胆管胆のう造影写真(乙第一〇号証の三ないし七)とを比較検討して、胆管狭窄の状態はない旨証言し、被告本人も同年一一月五日当時の原告の胆管造影写真(乙第六号証の二)及び右乙第六号証の九と右乙第一〇号証の三ないし七を比較検討して、胆管狭窄はない旨を供述する。

(3) 右証人鰺坂隆一の証言によれば、鰺坂医師は内科医であるうえ、同医師及び前記三宅医師は本件手術前の原告の胆管の状態と本件手術後のそれとを比較検討してはいないのであるから、前記乙第五号証の記載及び証人鰺坂隆一の証言をもつてして、前記証人立川勲の証言及び被告本人尋問の結果を覆えし、本件手術によつて原告の胆管に狭窄が生じたことを認めるに十分であるとはいえず、他に原告の胆管狭窄を認めるに足りる証拠はない。

なお、証人立川勲は、原告に発生した胆管炎の原因は結局、不明と証言し、同人作成の鑑定書にもその旨の記載がある。

(4) 以上のように、本件手術によつて原告に胆管狭窄が発生した事実を認めるに足りる証拠が十分ではなく、結局、本件手術の結果、手術部位の胆管に狭窄が生じ、その狭窄部分に胆汁がうつ滞することによる細菌感染によつて本件胆管炎が発生したと断定することはできず、本件胆管炎の発症原因は不明というほかはない。

したがつて、原告の右主張は理由がない。

(二)  次に原告は、被告が原告の便秘に対する術前術後の管理を怠つたと主張するので判断する。

〈証拠〉を総合すれば、便秘は腹腔内の圧力を高めるため、胆のう摘出手術の前後を通じて便通の正常化が必要であるが、一方、便秘そのものが胆管炎の発症原因となるものではなく、せいぜい補助因子となるにすぎないことが認められ、また、〈証拠〉によれば、被告は、原告が、本件手術前の昭和五五年七月二二日、二日間の便秘を訴えたため、これに対し、下剤(ソルベン二錠)を投与し、同月二三日の本件手術前の措置として原告に浣腸を実施したこと、本件手術後、被告医院退院の日(同年八月一二日)まで、原告の便通は正常であり、原告が同月一五日、被告医院に来院した際、三日間便通がない旨を訴えたのに対し、被告が下剤(ソルベン二錠)を投与したこと、翌一六日、原告の下剤を服用すると腹痛があるとの訴えに対し、被告が別の種類の下剤(ラキソベン)を投与したこと、翌一七日、来院の際に原告に食事で便通を整えるよう指示したことが認められ、これによれば、被告は、原告に対する術前術後の便通についての処置を施していたものと認められるから、被告が原告の便秘に対する管理を怠つたということはできず、原告の右主張は理由がない。

(三)  次に、原告は、被告が本件手術中の原告の胆管造影及び術後退院前の胆管造影を怠つた過失があると主張するので判断する。

(1) 被告が術中の原告の胆管造影及び術後、退院前の胆管造影を行わなかつた事実は、当事者間に争いがない。

(2) 〈証拠〉によれば、被告は、原告に対し、昭和五五年七月一四日、術前検査として胸部及び腹部の単純レントゲン撮影、心電図作成等を行い、翌一五日には、静注法による胆管、胆のう造影(DIC)の他、血液理化学検査、蛋白分画、血液学、免疫学等の検査を行い、原告の胆石、胆のうの状態等を確認したが、右諸検査の結果、原告の結石は胆のう内に約一・五センチメートル×一・五センチメートル大の一個のみであつて、胆管内の遺残結石の可能性が皆無であること及び胆管の状態も正常であることが判明したため、あえて術中の胆管造影を行う必要がないと判断し、これを省略したものであり、また、術後の胆管造影を行わなかつたのは、術後、原告に胆管狭窄を示す症状等がなかつたことから胆管造影を行う必要がないと判断したためであることが認められる。

(3) そして、本件手術によつて胆管狭窄が生じたことを認めるに足りる証拠がないことは、前記(一)で認定したとおりであるから、被告が胆管造影を行う必要がないと判断し、これを行わなかつたことをもつて不当であると非難することはできず、原告の右主張は理由がない。

(四)  次に、原告は、被告が原告の被告医院への通院時(昭和五五年八月一三日から同月一七日)における検査及び治療義務を怠り、本件胆管炎の発症を看過したと主張するので判断する。

(1) 〈証拠〉によれば、被告は、右期間中、胆管造影、白血球測定、肝機能の各検査、及び熱型の観察を実施していなかつたことが明らかであるが、被告本人尋問の結果によれば、被告は、右通院期間中、原告に発熱はなく、通院時における原告の臨床症状及び従前の検査結果からみて、原告に胆管炎ないし腹腔内の炎症の発生を疑うことができなかつたため、右各諸検査を実施しなかつたものと認められる。

(2) 証人鰺坂隆一及び同立川勲の各証言及び鑑定の結果によれば、原告の被告医院退院後、通院時における臨床症状及び判明していた諸検査の結果から、当時、原告の胆管炎を疑うことは困難であつたものと認められ、また、右立川勲(杏林大学医学部第一外科教室診療部長)の証言によれば、原告の本件症状の下では、右諸検査の実施は被告が行つた最後の検査日である昭和五五年八月一二日からせいぜい一週間ないし二週間ごとに行えば足りるものと認められる(この認定に反する証人鰺坂隆一の証言はたやすく措信できない。)ので、これによれば、被告が右諸検査を実施せず、原告の経過を観察していたことを不適切であるとすることはできない(なお、〈証拠〉によれば、右期間後の桜井医院への通院治療中、同医院においても、肝機能検査、白血球測定、胆管造影等は実施されていない。)。また、他に、原告の被告医院通院中の被告の諸検査の不実施を不適切と認めるに足りる証拠はないから、原告の右主張は理由がない。

2  同4(二)(説明義務違反)の主張について判断する。

(一)  まず、原告は、本件手術は必ずしも必要でなかつた旨主張するので、この点について検討する。

(1) 〈証拠〉によれば胆石症についての胆のう摘出手術の適応について、胆石症の根本的治療は外科手術にあるという見解に立ちながら、①胆石症は良性疾患であること、②胆石保有者の中には、何ら症状がない者もあること、③胆石症の軽症例が多く、内科的治療や自然経過として短時日に軽快するのが普通で重症化するケースは極めて少ないこと、④胆石症の症状再発は頻発例から数一〇年の間隔、生涯一度きりの発作しかみないなど経過は千差万別で予後の予測は極めて困難なこと、⑤手術は安全で予後は良いが、少数ながら死亡、術後障害があること、⑥手術による副損傷、遺残石が皆無でないことなどから、胆石保有者の全例を手術する必要はなく、手術適応を慎重に検討する立場があることが認められる。

一方、〈証拠〉によれば、①手術法の確立、手術の安全性並びに直後及び遠隔成績の著しい向上という手術成績の良好性、②無症状胆石も生涯無症状である確率は低いこと、③高齢者ほど合併症の危険性が大となり、手術成績の低下の傾向が認められること、④胆のう癌の胆石合併率が六〇〜八〇パーセントと高く、胆石症における胆のう癌の合併率が無石例よりはるかに高率であり、胆のう癌の早期診断が不可能に近く予後が不良であることなどから、特別の禁忌条件がない限り、胆のう炎の有無、疼痛などの症状の有無にかかわらず、胆石症を発見したら胆のう摘出を行うのが原則であるとする立場が認められる。

(2) 右認定したとおり、胆石症の手術適応の範囲については見解が分かれているところであり、手術を行うか否かは結局当該医師の裁量にまかされる部分が大きいというべきである。

(3) 〈証拠〉によれば、原告の胆石は直径約一・五センチメートルと大きく、胆のうから排出される見込みがないものであつて、従来の桜井医師のもとでの内科的治療では縮小しなかつたこと、原告には、本件手術前一年間位は胆石疝痛発作がなかつたものの、胆石による発作、痛みが少なくとも、昭和四九年四月、昭和五三年一二月四日、同月二九日、三〇日、昭和五四年一月一九日、同年三月三一日、同年五月ころ発生し、この中にはかなり激しい疝痛発作が含まれていたこと及び摘出された原告の胆のうは軽度の慢性胆のう炎を起こしていたことが認められる(右認定に反する原告本人尋問の結果はたやすく措信しがたい。)から、被告の手術適応の判断は相当というべきであつて、本件手術を不必要であつたということはできない。

(二)  次に、原告は、被告及びその妻が原告に対し、虚偽の説明をして本件手術を受けない場合のデメリットを強調する一方で、本件手術の術後障害等の危険性について全く説明せず、本件手術を受ける場合のデメリットを隠したのは、医師としての説明義務違反であると主張するので判断する。

(1) 被告及びその妻が、原告に対し、「胆石を放置しておくと癒着して癌になることが多い」と告げたとの点は、これを認めるに足りる証拠はない。

(2) 被告本人尋問の結果によれば、被告が原告に対し、昭和五五年四月ころ、胆のう癌の胆石合併率が高く胆のう癌の早期発見が困難であることや胆石の外科手術そのものは簡単であることを説明して手術を勧めたこと、本件手術前に、本件手術の術式である胆のうの全部を摘出する旨を説明したこと、しかし、本件手術の術後障害等の危険性については、原告に無用の不安を与えまいとの判断から、結局、説明をしなかつたことが認められる。

(3) そして〈証拠〉によれば、胆のう癌の胆石合併率が高く胆のう癌の早期発見が困難であること、胆のう摘出手術は古くから行われている標準的術式であつて、さして困難な手術ではなく安全性が高いことが認められるから、被告が原告に対し、虚偽の事実を説明したと認めるに足りる証拠はなく、この点の原告の主張は理由がない。

(4) 一方、胆のう摘出手術の術後障害等の危険性については、被告が原告に説明しなかつたのは右認定のとおりである。

そこで、胆のう摘出手術による術後障害等の実態について検討するに、〈証拠〉を総合すれば、胆石手術の成績は一般に良好で、特に近年は、手術成績の向上は著しく、手術死亡率は胆石症全体で一パーセント前後、本症例のような胆のう結石のみの場合はほとんど〇パーセントに近いことが認められる。

原告は、胆石手術後遺症候群として問題にすべきものとして胆石手術後約一〇パーセントの不良・再手術・死亡例があると主張し、〈書証〉には、右主張に沿う記載があるが、同号証によれば、右記載は、胆管結石、肝内結石、胆のう内結石等を区別せず、更に術前の状態が良い者から合併症を起こしている者までのすべてを総合したいわば全胆石症の手術の際の統計であるにすぎない。

そして、前掲甲第二号証の「手術成績」の記載によれば、すべての症例を含めた胆のう内結石の場合の術後不良は四・九パーセントであること、また、〈証拠〉によれば、高齢者になればなるほど、合併症がある者ほど、術後障害等の危険性が高くなることが認められる。

本件の場合、原告の胆石は胆のう内に一個だけであつて遺残結石の可能性が皆無であつたこと、本件手術前の原告の胆管は正常であり、健康状態も良好であつたことは前記認定のとおりであり、更に、原告が昭和二一年生れで本件手術時に三三歳という若さであつたことは当事者間に争いがないのであつて、以上の諸事実を総合して判断するなら、原告の本件手術による術後障害等の危険の可能性は極めて低いものであつたと解するのが相当である。

(5)  ところで、一般に、医師は、患者に対して手術等の侵襲を加えるなどその過程及び予後において一定の蓋然性をもつて悪しき結果の発生が予想される医療行為を行う場合、診療契約上の義務ないし右侵襲等に対する承諾を得る前提として、当該患者ないしはその家族に対し、病状、治療方法の内容及び必要性、発生の予想される危険等について、当時の医療水準に照らし相当と思料される事項を説明し、当該患者がその必要性や危険性を十分比較考慮の上右医療行為を受けるか否かを決定することを可能ならしめる義務があると解するのが相当である。

これを、本件についてみると、前記のように被告は原告に対し本件手術による術後障害等の危険性について説明しなかつたものであるが、右危険性は、極めて低いことは、右認定のとおりであり、また、本来、外科手術には一般的にそれ自体ある程度の危険性を伴うことは常識的に判断し得ることであるから、被告が、原告に無用の不安を与えまいとの判断から、本件手術の術後障害等の危険性について逐一説明しなかつたことをもつて、右説明義務に違反したということはできない。

よつて、原告の説明義務違反の主張は理由がない。

(6) また、原告は、被告が本件手術によつて原告の胆のうを全部摘出する旨説明しなかつた旨主張するが、右主張を認めるに足りる証拠がないことは前記認定のとおりであつて、この点の原告の主張も理由がない。

更に、原告は、被告が原告に対し、被告による手術を強引に勧め、病院選択の自由を害したと主張し、原告本人尋問の結果中には、原告が被告医院が経済的に楽でないことを知つており、被告が電話等で、被告医院で手術を受けるよう何度も勧め、かつ、種々の便宜をはかる旨を述べたため、被告の手術を受けたという部分がある。

しかし、仮に、右事実があつたとしても、医師が患者に自己のもとでの必要な医療行為等を勧めること自体は、当該医師がその医療行為を行うに必要な能力、設備等を有しない等の特段の事情がない限り、相当な行為であつて何ら非難すべきものではないうえ、原告が、被告による手術を受けたのは、結局は、自己の意思決定によつたものというべきであつて、原告の病院選択の自由が害されたと認めるに足る証拠はなく、原告の右主張は理由がない。

以上のように、被告の原告に対する各診療行為及び説明行為が本件診療契約の不履行又は不法行為にあたるということはできない。

四結論

以上の事実によれば、本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官吉崎直彌 裁判官萩尾保繁 裁判官白石哲)

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